キャンバス生地のラバーソールシューズがこの世に登場したのは1893年。そしてスニーカーの原点と言える競技用スパイクが1895年に登場し、スニーカーという言葉自体は1916年に登場しました。
音を立てずに忍び寄れる靴
スニーカーを多くの人が履き始めたのは1970年、日本は少し遅れた1990年のスニーカーブームを機に、街は革靴から一変してスニーカーを履く人たちで溢れかえりました。そんなスニーカーの誕生は「1893年に開発されたボート用のラバーシューズ」であるという説と、「ジョセフ・ウィリアム・フォスターが自作の陸上スパイクを作った1895年」という説の2種類に分かれています。
そんな中でキッチリと決まっているのは「スニーカー」という言葉が誕生したことです、言語としてはスニーク(忍び寄る)ということから派生しており、ケッズ(Keds)社のプロモーションにて「音を立てずに忍び寄れる靴」というキャッチフレーズの1部から生まれたスニーカーという言葉は、1916年に誕生しました。
スニーカーの誕生から日本のスニーカーブームまで
スニーカーが誕生した1890年代、そこから現代で言うところの「スニーカー」へと変化するまでには約100年もの時間を有しました。まずは、スニーカーの誕生から、日本におけるスニーカーブームが到来し、スニーカーという靴が身近になった1990年代までをご紹介します。
1895年:最初のスニーカーが誕生した年
後にリーボックの創業者となるジョセフ・ウィリアム・フォスターが、靴底に釘を打ち付けた「フォスター・デラックス・スパイク」を製作。
1917年:コンバースのオールスター誕生
1908年に創業したコンバースが、現在でも愛用者の多い名作「オールスター」を1917年に完成させました。当時のコンバースが展開している製品は冬場ばかりに注文が殺到していたため、通年で販売できる商品の必要性を感じており、そこで目をつけたのが当時注目されつつあった「バスケットボール」です。そこで、バスケットボール専用のシューズとして登場したのがオールスターでした。
1959年:オニツカタイガーがマジックランナーを発表
アシックスの前身であるオニツカタイガーが、大胆にもシューズに穴を開けることでランニング中の衝撃熱を解消してマメを防止するという画期的なアイデアを組み込んだマジックランナーを1959年に発表。以後約20年にわたって様々なランナーに愛されました。
1966年:ケーススイス創立とオールレザーテニスシューズの誕生
ケースイスブランドの誕生。そして、テニスシューズといえばキャンバス素材だった時代に、フルグレインレザーのアッパー素材を使用したテニスシューズ「クラシック」を発表。
1968年:ナイキの創立
現代においてスニーカーを語る上で欠かすことのできないモンスターブランドと言えるナイキが設立。1971年にはビル・バウワーマンのアイデアと、オニツカタイガーのテクノロジーが合わさったコルテッツが大人気となる。
1972年:アディダスを履いたスタンスミスが優勝
アディダスの定番スニーカーであるハイレットを履いたスタンスミスがウィンブルドンを制覇し、ハイレットにスタンスミスの顔とサインをプリントしたスタンスミスシリーズがスタート。
1978年:ナイキが「エア」を開発
ナイキの代表的テクノロジーである、スニーカーのミッドソールにエアバッグを配置したクッショニング技術「Air(エア)」が誕生。初代エア搭載スニーカーであるテイルウィンドの販売が開始。
1982年:名作スニーカーが次々と登場する
ニューバランスからはM990。リーボックはエアロビクスシューズとしてフリースタイルが登場。そしてナイキからは、今でも定番スニーカーとして愛されるエアフォース1が誕生。
1985年:ニューバランスからM1300が登場
登場から現代に至るまで、ニューバランスの象徴として輝き続ける名作「M1300」が登場。ニューバランスのランニングシューズのフラッグシップモデルとして確固たるブランドの地位を築く1000シリーズの初代モデルであり、今やニューバランスを代表するテクノロジーとして知られるENCAPを搭載した鮮烈なデビュー。履き心地の良さならニューバランスといった印象を植え付けた傑作です。
1985年:初代エアジョーダン誕生
世界で初めての大規模なシグネチャーモデルとなったエアジョーダン1がリリース。当時のNBAが定めるユニフォーム規定に合わず、ナイキが賠償金を払い続けながらプロモーションを行うことになりました。
1987年:初代エアマックス誕生
ナイキのクッショニングテクノロジーであるエアを視認できるビジブル化を果たし、ハイテクスニーカーと呼ばれる市場の開拓者となった初代エアマックスが誕生。
1989年:リーボックのポンプテクノロジーが誕生
ハイテクスニーカーの先駆けであるエアマックスに沸いた80年代後半。まったく新しいフィッティングテクノロジーであるポンプシステムをリーボックが開発。アッパーに空気を送り込んでフィット感を高める新システムにスニーカー界が大注目した。
1990年代:日本におけるスニーカーブームが到来
ナイキのエアマックス、そしてリーボックのポンプシステムによって、ジョーダンシリーズを中心に日本でもじわじわと到来していたスニーカーブームが一気に爆発。1990年代における日本はハイテクスニーカーブームに沸いており、スニーカー専門のファッション誌も登場するなど、ファッションの中心はまさにスニーカー1色となっていました。流行しているスニーカーは盗難に会い、エアマックス狩りも続出、社会現象にもなりました。
1993年:バスケットボールシューズが主流へ
この時期はバスケットボールとスニーカーに密接な関係があった時代であり、バルセロナ五輪によるNBAのスーパースター達で構成されたドリームチームが活躍したこともあって、バッシュ系のスニーカーが流行しました。アニメのスラムダンクがスタートしたこの時代、もちろんエアジョーダンは人気の中心にありました。
1993年前後に登場した名作スニーカーといえば、マックスエアを搭載したナイキのフォースマックスや、超大物ルーキーであるシャックのシグネチャーとしてリーボックからポンプシステムを搭載して登場したシャック1など。ハイテクスニーカーとしての要素を取り入れたバスケットボールシューズが人気となりました。
1995年:エアマックス95が発売しハイテクスニーカーブームが到来
ピーク時には30万円という値段もついた、ハイテクスニーカーブームの火付け役「エアマックス95」がリリース。
この時代はスニーカーのビッグヒットモデルが次々と登場し、エアジョーダン1の復刻など新機能を追い求めていたナイキにとって異例の事であり、1995年の年末にはナイキからフットスケープも発売されるなど、とにかく記憶に残る名作スニーカーたちが数多く生まれた年となりました。
そんなハイテクスニーカーブームを牽引したのはナイキのエアマックスと、リーボックのポンプフューリーであり、ファッション性よりも「いかに珍しいスニーカーを履いているか」ということが重視された時代です。
1999年:ダンクとグラビスがシーンを盛り上げる
1990年代のラストイヤーとなった1999年。日本市場では正規展開されることがなかったため、古着屋ではプレミア価格で取引されていたナイキのダンクが待望の復刻を果たし、裏ダンクと呼ばれる色を反転させた限定モデルもリリースされてスニーカーシーンは活気を取り戻していきました。
スノーボード業界の重鎮であるバートンから誕生したグラビスのスニーカーも人気を博し、一時は下降気味だったスニーカー人気も復活、そして2000年代へと突入していきます。